支配人の松田です

投稿日:
  • ブログ

栂池には縁結びの神様がいます

流れ流れて栂池高原にたどり着きました。この地には惹かれるものがありました。

最初に栂池(小谷村)へ来たのは60年前、高校3年生の時です。受験勉強のために涼しい小谷村の民宿へ来たのです。当時の小谷村はかやぶき屋根が大半を占める明治時代の情景そのものでした。

40数年後、再び栂池高原にやってきました。ジベルニー白馬栂池B&Bの前身「フォレスト栂池」のオーナーが、60年前に私が泊まった民宿の息子さんだったのです。

縁とは不思議なものです。やがてそのフォレスト栂池で一緒にスキーに興じていた私の20年来の友人がフォレスト栂池を買い取り、私が支配人を務めることになるのです。

バイクに初めて乗ったのが73歳です

私は出版社の社長でした。千早書房やラインブックスなどの経営に携わって来ました。出版社数社の経営を退いてからは「隠居」と称していました。周りの人たちからも「ご隠居」「ご隠居さん」と親しげに声を掛けいただいています。

「両国の隠居」に始まり「秦野の隠居」、あるテレビ番組では「ネット長屋の隠居さん」と呼ばれたこともあります。これからは「栂池の隠居」です。

隠居と称してからは好き勝手に生きて来ました。「本作りセミナー」を全国各地で開催したこともあります。73歳でバイクの免許(125㏄までの原付二種)を取りました。原付二種は高速道路を走れないので一般道を使って日本を二周しました。

日本二周は、豪雨でない限り少々の雨でもテント泊です。いい歳をした爺さんが、排気量125㏄のバイクで、山ほどのキャンプ道具を積み込んで旅するのですから、あちこちで不思議がられました。それも73歳までは原チャリにも乗ったことがなかったのです。でもそれよりも77歳でペンション支配人って方が凄いと思いませんか。

アフタースキーを楽しめる宿へ

スキーに夢中です。登山にも夢中になっていたのですが、年のせいか息切れが酷くなって諦めました。山もバイクも近場だけですが、栂池に棲めば都会の人並みの行動範囲に相当します。神は見捨てずとペンションの支配人就任を喜んでいます。

私は遊ぶためにペンションの支配人に就任しました。みなさんと遊ぶためです。そのための労苦は惜しみません。そして私たちの宿は、従来型の泊まるだけの宿から、アフタースキーを楽しめる自由空間を取り入れた宿へと変身中です。

グリーンシーズン到来です

栂池高原がにぎわうのは冬だけでした。栂池自然園もあり、塩の道もあります。白馬岳の麓です。グリーンシーズンは楽しくて当然です。それなのに雪が溶けると人影が消えていったのです。

ここ2~3年、栂池高原を訪れる登山客が一気に増えました。さらに道には外国人のみなさんが溢れ出しました。スーパーもコンビニも外国の人たちが溢れています。もたもたしてはいられません。なにかグリーンシーズンの集客方法を考えなければ……

ありのままの栂池高原を提供します

今年の夏、山から下りて来て一泊していただいたお客さん、BBQすることになりました。そして翌朝、珈琲をご馳走になっていたときの話から、ここにテントを張ってもう一泊することになりました。

「ここが最高です!」「最初からここに設営するつもりで、また来ていいですか」
そうなのです。ありのままの栂池高原でいいのです。一緒になってBBQやテントを張って遊べばいいのです。

みなさんもお気軽にグリーンシーズンの栂池高原を訪ねてください。「遊ぼうよ。何しようか?」と声を掛けていただけるのを待っています。